講演でお呼びする団体は、
特定非営利活動法人 ゆめ風基金
http://homepage3.nifty.com/yumekaze/
富山市災害ボランティアネットワーク会議
http://toyamavs.net/prevention.pdf
です。
私(平井)は、あの15年前の阪神淡路大震災の時は、前日に大阪で会議があって夕方の汽車に乗って富山に帰ってきました。
翌朝、テレビを付けると地震のニュースを見て、大阪の友達に電話をかけたのを覚えています。神戸の友達が壊れた家の下敷きになって亡くなったという情報が数日後に入ってきました。私が所属していた団体ですぐに救援活動が始まり、被災地から大阪の事務所、大阪の事務所から富山の作業所へと連絡やファックスが入り、富山から全国へと情報を発信しました。
被災地には、大賀さんという親友がいて、その人から現地の情報やお金・物資の必要な情報を発信して、大阪の事務局で被災障害者の一時避難場所を確保したり、現地への応援に駆け付けたりしました。地方の役割として、主に物資や資金集めをして被災地に届けてきました。
当時は、電話が通じなくて連絡はファックスが多かったです。ファックスの方が被災地に入って行きました。毎日のように情報と支援してほしい内容がファックスで入ってきて、大変だったことを覚えています。
当時のことで一番印象に残った出来事は、車椅子では外を歩くこともできず、避難場所ではトイレや着替え、配給時には聴覚障害や視覚障害の方も並ぶどころか、情報すらなかなか入らなかったとか、人工透析をしている方たちが透析を受けられないとか、そんな具体的な情報とともに被災地から抜け出し、大阪などの福祉関係施設で一時的な寝泊りや医療のできる体制をとっていく動きが日々一刻と動いていく情報とともに、地方からの支援が行っていったことを覚えています。
その後、ゆめ風基金が造られ、各地の災害に対しても取り組まれてきています。
ちょっと違いますが、私はあのオオム真理教の毒ガス事件があった日はちょうど霞が関の事件があった駅の近くにいました。私は、一人で東京に行っていて、その日は文部省と交渉があり、その前に集まって会議をするために新宿の戸山サンライズがタクシーに乗って向かっていました。
介護者がいたら、地下鉄で出かけたかもしれませんが、その日は私一人だったのでタクシーに乗ったのがよかったのだと思いました。集まってきた人の中には、一本前だったら巻き込まれていたとか、一本後だったので助かったという人もいました。
タクシーの運転手さんと「何かこの近くであったようだね」とニュースを聞いて話していました。「タクシーに乗っていてよかったね」いわれたことを覚えています。
災難は、どんなときに起こるかわかりません。皆さん方と共に考えていけたらと思いますのでぜひいろんな方の参加をお待ちしています。
平井
企画日
1月31日 日曜日午後1時30分
県民会館 706号室