車いすユーザーも一緒にいて、到着した時に「何買う?スロープあるかなぁ。・・・なさそうだね」と会話を交わし、その本人も疲れていたのもあり車の中で待っていることになった。
車を降り、スロープないのかなぁと思っていたら、なだらかなスロープを確認した。
一緒に行けばよかったと思った瞬間、視線を上に向けると車が駐車されていた。
店内に入ると、自分たち以外のお客さんがいなかったので、店員さんの車なんだなということが推測できた。それで考えられることは、スロープは端の方にありその駐車場も停めやすいとは言えないような位置だったので、お客さんには停めやすいところに停めてもらおうという心遣いからだろうと理解した。
それと同時に、車いすに乗ったお客さんやカートやベビーカー、歩行器などを使って来られるお客さんのことはどう考えているんだろうか、ということ。もしかしたら、スロープがあること自体気づいていないかもしれないとも考えた。
悶々とした思いの中で買い物を終え、一言言おうかどうしようかと悩みながらも、気がついたらスロープの前に車を停めていることについて話し始めてしまっていた。店員さんは、言ってくれれば移動させましたのに、とのことだった。
伝えたいことが、うまく伝わらなかった。・・・んだろうな。
車で来られるお客さんには、言われなくても停めやすい場所を開けておく心遣いを
スロープを必要とする人には必要性を言われないとしてもらえないというこの違いは何なのか。
そこにはせっかくスロープがあるというのに。
「共に生きる」がまだまだなんだと実感させられた。
ずいぶん前だが、とある学校に講演に行かせていただいた時のこと。
とてもバリアフリーで設備が整っていた。
「障害のあるお子さんが多いんですね。」
と言ったところ
「そうではなくて、子どもたちがケガなどをした時のために」
と言われたことを思い出した。
これまでにも、最初は1段や2段の段差があった回転寿司店やケーキ屋さんが、車いすや歩行器で何度か通ったことで、何か言ったわけではなかったけどコンクリートで段差がなくなっていたり、手すりとスロープが設置されたりしたこともある。
行きたい時に行きたいところに行って楽しんだり
時には困ったりしながら
伝えるべきことは言う。
地道に
地域でともに生きる。